立山信仰と開山伝説


★「日本百名山」
 深田久弥の「日本百名山」では、立山を「わが国で最も早く開かれた山の一つで ある」と紹介しています。

★開山伝説
701年(大宝元年)越中の国司、佐伯有若の子、有頼が立山権現の導きによ  り立山を開山したと伝えられています。

★立山権現
「権」は「カリ」という字で「仮」であり、はたまた「借り」であります。立山で言えば有 頼を立山に導いた白鷹や熊にあてはまります。阿弥陀様が白鷹や熊の姿を借り て、あるいは仮の姿として「現」われた事で、立山権現と言っています。

★立山マンダラ
 荒涼とした地獄谷、針のように尖った剣岳、3千メートルを越える雄山や大汝、ま たソーメン滝(御赦免滝)やミクリガ池、血の池、ガキの田、そして落差350mに も及ぶ称名滝、樹齢1千年を超える立山杉など変化にとんだ立山の地形を「地獄」と「浄土」に見立てて立山マンダラが描かれています。

★「今昔物語」
次の様な話が載っています。
近江の若い僧が地獄谷で若い女性に遭った。
女は「近江の蒲生の仏師の娘ですが地獄におちて耐え難い苦しみの中にいま す。どうぞ父母に法華経を写経して供養してくださるように」と伝言を頼んだ。
写経をすると仏師と僧の夢枕に娘が現われ「地獄から抜け出られた」と礼を言 った。・・

★謡曲「善知鳥(うとう)」
 世阿弥の作に謡曲「善知鳥(うとう)」があります。要旨は概略次のとおりです。
諸国一見の僧が陸奥(みちのく)の外ヶ浜を志し途中、立山に登り、地獄谷で幽霊 に出会う。
幽霊は「陸奥へお下りになったら、私の遺族におことづてください。私は外ヶ浜で猟師をしていた者ですが、去年の秋死にました。私の妻子の家をおたずねくださ って、そこにある蓑笠を手向けてくれよとおっしゃってください」と頼む。
僧が驚いて「これは思いもよらぬことをきくものです。お届けするのはやすいことですが、そんなことをいっても、遺族のかたが本当にするのでしょうか」というと、 「おっしゃるとおりです。たしかな証拠がなくては本当にいたしますまい。これをしるしにして下さい」といって、着ていた衣の方袖を解いて僧に渡す。
僧が外ヶ浜の猟師の家へ来意を告げて、亡霊から預かってきた方袖をさしだと、遺族は顔色を変えて形見の藤衣をとり出てみるとぴたりと合う。
こうして遺言どおり蓑笠を手向けて弔うと御法にひかれて亡霊が現われ、この世で善知鳥を取り殺した報いで、地獄で日夜苦しんでいるありさまを、さながらに示 し、「安き隙(ひま)なき身の苦しみを、助けてたべや、御僧、助けてたべや、御僧」といいながら消えてゆくのであった。


閻魔堂の閻魔大王
(立山町芦峅寺)
★女人禁制の時代
   昔、立山も女人禁制の時代がありました。それにまつわる「美女杉」や「かむろ杉」、そして「鏡石」や「材木石」などの伝説があります。
 ふもとの芦峅寺には「布橋」があり、ここで立山登拝 が出来ない女性のために「布橋大灌頂(ぬのはしだ いかんじょう)」という擬死再生体験の行事が行われていました。 

★ガイド案内
 「うれの会」では立山開山の伝説やマンダラの世界についてもガイドをしています。