以下は会報(NO.6)の一部を再編集したものです。
| ペンリレー 緑のザゼン草とツキノワ熊 森 重春 |
![]() 緑のザゼン草 |
| 極楽坂の四季 私の職場がある極楽坂スキー場は標高500mの山麓から山頂1000mまで四季それぞれに自然の変化を楽しむことが出来るが、何気なしに日々見逃していることが多々ある。快晴の山頂から望む立山連峰の冬景色は格別である。時には稜線に舞い上がる雪煙らしきものさえ見せてくれる。仕事合間に自然の織り成す四季を見つめ感動する心を大切にしたいものだ。 緑色のザゼン草 自然環境に恵まれたこの地に、今年も顔を出しているだろうかと、緑のザゼン草を探した。訪ねるのを待っていたかの如く、昨年と同じ場所に緑色を呈して開花していた。知らないことは聞くことも大切。地元の新聞社の記者に写真を見せた。記者は早速と県中央植物園を伺ったらしく、その訳を説明してくれた。話によると「褐色の仏炎苞が脱色して緑色になるもので、時々自然界で見られるそうだ」と伝えてくれた。そして氏は、オフシーズンのスキー場にも楽しめるものがあることを知った。「日々何かを探し求めて、過ごしている人に発見が訪れることを学んだ」と新聞の一隅の「記者ノート」に掲載してくれた。一度見たいと云う方々が、交流センターを訪れ、又問い合わせする人もいたようだ。 人間と熊との関わり もう一つの立山開山伝説 ツキノワ熊の親子がファミリーゲレンデに居住し始めた。母親と、二頭の子熊である。子の戯れ遊ぶ姿は自然動物園にいるようで、スキー場スタッフは現れるのを待つ日々が続く。しかし、熊が人に危害を加えることは新聞報道にも珍しくない。にも拘らず熊が遠い昔から神仏扱いされている。有名な立山開山伝説にも、今は亡き雄山神杜の宮司佐伯幸長さんの日く、黒い真黒い「くろ熊」と力説されたから、ツキノワ熊であろう。その熊と、人間とが、その時代どう接してきたのか。図書で少しばかり調べてみた。 @熊狩猟の歴史の中に「原始時代、狩猟は主たる生業であつたが、農耕者が害獣を象徴的に捕獲し、神に供えその加護によって、作物の無事成育を願うようになった。やがて鉄砲の伝来と共に、大量の鳥獣が捕らわれるようになり、さらには動物生薬の効能が広く知られ需要が激増した」。 A室町時代の末期には、野獣を殺すことは「その霊を浄土に成仏させることだ」と云う諏訪信仰が盛んになり、殺された獣霊は「転生成仏出来ることを、喜んでいる」という教義は、狩猟者の強い精神的支柱になった。 Bもう一つの立山開山伝説について「狩人が熊に導かれて深山に入り、霊異によって、山を開くと云う伝説は日本各地にあり、立山開山伝説は、その1類型とみなし得る」とある。熊は、立山自然の霊威の象徴とされ、熊が神格化されたことを立山開山伝説は窺わせる。立山修験の色彩を色濃く残す護府牛王宝印、立山曼荼羅、立山開山縁起に熊がデザインされることは、熊の神格化と当地に於ける熊の捕獲、熊胆の利用という経済行為の正当化を示唆しているとある。『熊と人間』より抜粋。 鈴の音もラジオの音も 気にしないで人間の領域に 然し、スキー場に出没する親子熊も、共に共存できる自然環境でありたいと願うか、鈴の音もラジオの音声も全く気にしなくなっている。この有様は間違いなく熊の一方的行動が人間の領域に入り込んできているようだ。秋口頃、再び姿を現し、出産準備の冬眠に入るのではなかろうかと思ったりもする。 |
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