以下は会報(NO.11)の一部を再編集したものです。
| ペンリレー ネパールヒマラヤ の ギャジカン峰(7038m)ヘ 谷村 正則 |
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中央ドーム状の山がキャジカン峰
| 遂に頂上に立つ 2005年9月15日、高所ガイドのマン氏と隊長、私の3人で上部ルートを偵察し、5230m地点辺りまで行った。10年前に比較して「氷河はかなり後退している」とのことだ。16日は安全祈願(プジャ)の日だったがあいにくのミゾレの中だった。 17日、私と村上、板橋、田辺の先発隊はキャンプ1(以下C1)に入った。 18日、後発隊の木戸隊長、加藤、河村、辻、金尾の5人とC1で合流。以後、高度順応のためにC2(6131m)へ行ったりきたりした。 24日C2泊まり。 25日6590mのC3に入る。メンバーは木戸、谷村、村上、辻、板橋、金尾、田辺の7名だった。 26日、2時起床、アタック準備。C2から上がってきた高所ガイド5人と合流。4時15分アタックの開始。でも酸素量は「地上の3分の1」の世界で息苦しかった。呼吸を整えながら一歩一歩登った。そして11時19分、頂上に立った。遂にやったぞ!。互いに写真を撮った。風は少しあるものの快晴だった。西方面にはアンナプルナU・W、マチャプチャレ、アンナプルナTなどが見えた。また南東方向には槇有恒隊長の日本山岳連盟会が1956年に初登頂したマナスル(8163m)が目の前に峻立していた。 6180mのアイランドピーク、6476mのメラピーク、6275mのパルチャモピークを登ってきた自分だったが、「7000m台の山へ登れるだろうか?」と思っていただけに感動は大きかった。 そんな思いもアッという間に過ぎ、下山がはじまった。事故は帰路でよく起きるので細心の注意を払った。この日はC3泊まり。27日、C1泊。そして28日13時、BCに着いた。隊員、スタッフは共に抱き合った。 29日はゆっくり休息した。 マオに遭遇・・・バックには手榴弾 30日、いよいよバックキャラバン開始。また長い歩きが始まった。ところが10月4日、事件が発生。「マオ」が現れたのである。我々の前には40才前後の男性一人だったが、そのウエストバッグには手榴弾が確認出来た。抵抗は出来なかった。不法・不当と思っても、どうしようもなく、隊員一人2000ルピー(3500円)あて取られてしまった。「マオ」は領収書を残しアッという間に消えた。どっと疲れが出てしまい、この後の行程の長いこと。「早く着かないか、まだ着かないか」と思いながら歩き、5日10時にやっと車に乗った。その日の18時30分、カトマンズへ着いたがみんな疲れていた。 6日、休息。7日、日本大使と会食。9日、ネパール発。10日関西空港着。この時の安堵感は格別のものだった。 |
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